宮守町鱒沢

宮守町鱒沢ってどんな所?

masuzawa鎌倉時代から遠野郷を統治した阿曽沼氏が滅びたのは、室町時代に至って小友金山経営と 猿ケ石川流域の水田生産力の増加に支えられた鱒沢(ますざわ)氏の台頭があったからといわれています。 また、明治12年(1879)から県下一斉に調査した『岩手県管轄地誌』中に、 宮守町域では下鱒沢だけがアユとナマズを産していることが書かれていますが、 これは鱒沢地区を猿ケ石川が貫流しているからでした。 現在も猿ケ石川の恩恵を受け、国道283号沿いの河川敷には、 鱒沢やなや食事、レジャー、スポーツ施設が集まる「柏木平レイクリゾート」が整備されています。

宮守町鱒沢の主な施設

施設名 所在 Web
ふるさと交流体験学習施設
〒028-0303 岩手県遠野市宮守町下鱒沢21-137-6
0198-66-2139  
遠野麦酒苑
〒028-0303 岩手県遠野市宮守町下鱒沢21地割110−1
   
コテージランドかしわぎ
〒028-0303 岩手県遠野市 宮守町下鱒沢28-125
0198-67-2885 柏木平 レイクリゾート
社会福祉法人ともり
会身体障害者療護施設高舘の園
〒028-0303 岩手県遠野市宮守町下鱒沢33地割216−5
0198-66-2578  

宮守町鱒沢の名所

屏風岩

この屏風岩は、外周およそ100m、高さ30mぐらいの半円形で、ちょうど屏風を開いたように凹凸があり、巨大な怪石という形容にふさわしい。
この屏風岩の中央底部には、冷たい清水がしたたり落ち底辺一帯がしっとりと濡れ、無数の苔類が繁茂している。

鞍迫観音

鞍迫観音は遠野七観音の第四番札所で、仁寿2年(852)に慈覚大師が十一面観音を自ら刻んで安置したことに始まるといわれている。江戸時代の万治2年(1659)に観音堂が全焼し、現在のものは寛文10年(1670)に再建されたもので、その火災により観音像の表面は黒く炭化し、今でもその状態で堂内に安置されており、昭和52年(1977)に当時の宮守村有形文化財に指定されている。

長泉寺

かやの木がある長泉寺は、天正2年(1574)阿曽沼氏の重臣、鱒沢左馬助が創建した。1610年前後に5代目鱒沢広恒の子が「境内にあるかやの木の下で処刑された」とされている。遠野市指定天然記念物に指定されている。
masuzawa_kayanoki遠野市天然記念物指定・遠野遺産第50号
長泉寺かやの木

masuzawatate鱒沢館跡

築城年代は不明。室町~戦国期の阿曽沼氏の一族鱒沢氏の本拠。かつての陸奥国閉伊郡上鱒沢村に所在し、城跡は長泉寺の裏山の尾根にあり、斜面を階段状の平坦地で重ねその全体を空堀で囲む猿ヶ石川流域の山城。
鱒沢氏の始祖、守綱は阿曽沼光綱の次男。遠野保のうち鱒沢・小友の2村を領し、上町に館を築いたことに始まるといわれ、三男守儀も隣郷綾織の宇夫方氏を継いでおり、一族を五輪峠を挟んだ江刺と遠野とを結ぶ要衝の地に配した。
天正18年(1590年)、小田原不参によって阿曽沼氏は領主権を没収され南部氏配下となったが、 天正20年(1592年)、「諸城破却書上」には「閉伊郡之内 増沢 山城 浅沼 忠次郎 持分」とあり、破却はまのがれた。
慶長5年(1600年)、鱒沢佐馬助広勝らは南部氏と結んで、阿曽沼一族内訌によって主家阿曽沼広長に叛逆し、気仙方向に追放したが、広勝は遠野奪還を企てて来攻した阿曽沼広長の軍勢との戦いで討死した。 南部家の家臣として遠野の所領を安堵された鱒沢氏も、広勝の子 忠右衛門は謀反の疑いによって誅殺されて鱒沢家は滅んだ。

砥森山

砥森山は、花巻市(東和町)と遠野市(宮守町)の境にあり、麓には雄大な田瀬湖がある。 登山口は東和町の田瀬湖、それと宮守町側からの2か所にある。(ここに掲載した砥森山の画像は田瀬湖側からのものである)
前九年の役にて、衣川で敗れた安倍貞任はこの地に逃れ体勢を立て直した。追ってきた源義家はこの山に登り戦勝を祈願し、戦に勝って宮を建てたと言いう。後に村人はこの宮を守り、宮守という村名が生まれたとのこと。なお、この登山道の入り口近くには安部貞任の隠れ岩がある。
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柏木平レイクリゾート

岩手県遠野市の家族旅行、コテージでの宿泊、自然体験、地ビール、スポーツ合宿なら柏木平レイクリゾート

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