宮守町宮守

宮守町宮守(みやもりちょうみやもり)ってどんな所?

miyamorimiyamori上宮守は遠野街道の宿場町として発展し、藩政時代には盛岡と遠野へ物資輸送をする夫伝馬の宿駅の役割も担っていました。宮守町の中心地、下宮守は花巻街道の宿場でもあった交通の要衝で、国道283号となった現在は、 「道の駅・みやもり」があります。 また、JR釜石線に架かる通称「めがね橋」は、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモチーフになったといわれています。

宮守町宮守の主な施設

宮守町宮守の名所

宮守観音

宮守観音は、創設は大同2年(807)、寺山号を月見山平沢寺といい、本尊は千手観音で、嘉祥4年(851)慈覚大師が諸国巡歴中遠野において1木を以って7体の観音像彫刻したものの一尊である。その後御堂が火災にあったとき尊像は難を逃れたが、御堂再建の際に信者らが信仰のあまり山中に埋めてしまい、そのまま発見できず失われてしまってた。今の尊像は後人の作である。観音堂は江戸後期の建築で、掲額等の現在最古の資料は嘉永6年(1853)である。

呼ばれ石

遠野遺産登録23号
この岩の付近で働いていた者たちが、遠く離れた処にいる仲間に「昼飯だ!」と叫ぶと、その大石も、その声に応じて同じ事を言ったという。そして、その石の上にある石もまた、同じように応ずる。それから人々はこの石の事を「呼ばれ石」と名付けたのだと。

寺沢高原

寺沢高原は牧場として牛や馬が放牧されているが、牛馬が草をはむ牧歌的雰囲気や満天の星空を満喫することができる。また、標高約1,000mに設けた展望台では、岩手山や早池峰山の眺望や周囲に展開する大パノラマを堪能することができる。

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宮守館

宮守館は、笠通山から北西に延びる尾根の先端に位置し、北西側に鹿込小沢集落、反対側南東山麓には鹿込地区熊の洞集落が控えている。 この隣接の集落から別名小沢館或いは熊の洞館とも地元では呼称される。

乳母石

宮守町、中斎に行く路の途中に、石神様があってこれは乳の神である。昔ある一人の尼がどういうわけかでこの石になったのだと言い伝えている。 「遠野物語拾遺」13話
かっては、乳の出ない婦人はここに参詣し、乳の形の石に酒をあげたり、石にその酒を注ぐと、今まで出なかった乳が出るようになったと知られ、この乳神様まで遠くから多くの乳の出に困っている婦人たちが参詣に来たという。

四十八滝

寺沢高原から上宮川に流れる川を寺沢川と言い、4~5m程の滝が連続しており、「四十八滝」と呼ばれる景勝地になっている。滝見橋そばの滝の左岸に不動尊がある。実際には四十八の滝があるかどうかは不明であるが、それほど数多く滝があると言うことだろう。

めがね橋

「ねがね橋(正式名称は宮守川橋梁)」は2代存在し、旧橋は大正4年(1915年)に竣工し、昭和18年(1943年)に改修されて現橋となった。改修以前には釜石線の前身である岩手軽便鉄道でも使用され、石造である旧橋の橋脚も3基現存している。旧橋は宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』のモチーフにもなった。平成14年(2002年)に土木学会選奨土木遺産に選定されている。平成21年(2009年)2月6日には近代化産業遺産に認定され、同年4月にはNPO法人地域活性化支援センターによって恋人の聖地に認定された。
この橋を通過するSL銀河は、まるで宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」そのものであるかのようだ。

岩根橋

この橋は正式には達曽部川橋梁といい、旧岩手軽便鉄道の鋼板桁橋、橋台、橋脚をそのままコンクリート、カテナリーアーチとして中に包みこんだもので、昭和18年に改修され、平成14年には、土木学会推奨土木遺産に認定されている。
宮守町には、宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」のモチーフになったといわれる、有名な「めがね橋(正式には宮守川橋梁)」があるが、実はこの岩根橋がモチーフとされたともいわれている。

雲ノ上山

雲ノ上山の麓にある磔(はりつけ)という変わった名前の付いた峠。「宮守風土記」によると、江戸時代に活躍した力士「雲の上作太夫」という強い力士がいて、南部のお抱え力士となり盛岡へ出たが、些細なことから藩主の怒りを買い、この場所で処刑されたところから、磔峠と呼ばれるようになったという。山の名前も「雲の上作太夫」から付いた名前である。