松崎町

松崎町ってどんな所?

matsuzaki鎌倉時代の建保年間(1213~1218)に遠野に封じられた阿曽沼親綱が、駒木字堀合に仮館を置いて横田城を築き、 その後、光興寺の護摩堂に移ってからは対岸の白岩地区を中心に市街地が発展しましたが、 天正年間(1573~1591)に横田城が鍋倉山に移されてからは次第に人家が少なくなり、耕地化していったといわれている。 しかし近年は、競走馬・乗用馬の育成調教と本州で唯一の乗用馬市場も行われる「遠野馬の里」の開設や、 高清水山の麓に広がる光興寺りんご園団地の発展、平成三年に国道二八三号遠野バイパスが全線開通し、郊外型大型店が立ち並ぶなど大きく変容し、遠野郷一一エリア中唯一、人口の伸びが見られる。

松崎町の主な施設

施設名 所在 Web
松崎地区センター 〒028-0541 遠野市松崎町白岩字薬研淵1番地3 0198-62-2885 松崎地区センター
健康福祉の里 〒028-0541 遠野市松崎町白岩字薬研淵4番地1 0198-62-5111 健康福祉の里
遠野市総合福祉センター 〒028-0541 遠野市松崎町白岩字薬研淵1番地3 0198-62-8459 遠野市社会福祉協議会
遠野馬の里 〒028-0545 遠野市松崎町駒木4地割120番地5 0198-62-5561 遠野馬の里
国体記念公園市民サッカー場 〒028-0541 岩手県遠野市松崎町白岩字地森80番地    

松崎町の名所

高清水展望台

高清水の山の上には牧場があり、道路脇には展望台が設置されている。遠野の田園風景が一望できる場所で、霧が発生する季節には雲海を撮影しようとする人が後を絶たない。写真撮影にはベストスポットである。

松崎観音

松崎観音は、大同(だいどう)2年(807)で、麦沢山松崎寺といい、本尊十一面観音像は、「円鏡に御影を鋳成した金物の尊体」であってたという。嘉祥4年(851)慈覚大師が遠野において1木を以って七体の観音像を刻み、そのうちの一体が御長六尺の尊像で、往古の本像はその左手に棒げもっていたそうである。現存する本尊像は、背面に慶長11年(1606)の銘文がある。 由来書によると元禄年間、野火により観音堂が全焼、宝物類が失われたが、本尊像等は無事であった。現在の観音堂は享保13年(1724)に再建されたものである。

横田城跡横田城跡

陸奥国閉伊郡遠野保にあった鎌倉期から戦国期の城郭。阿曽沼氏の居城。護摩堂山にあり、両側を沢で囲まれた扇状地で猿ヶ石川に面した緩斜面地となっており、300x200mの台地に幅の広い空濠が残っている。城下には家臣屋敷が配されて、一日市などがあった。

阿曽沼公歴代の墓

 遠野の最初の統治者阿曽沼四郎広郷をはじめ歴代の霊ががまつられている。1189年源頼朝から平泉征討の恩賞として遠野十二郷を領した阿曽沼氏はよく領内を治め繁栄した。関ヶ原の戦いがあった慶弔5年(1600)当主は14代広長であった。
 徳川家康の上杉景勝攻めに出陣した留守中に家臣の謀反にあい約400年続いた政権は亡びたのである。
 五輪塔はもと阿曽沼家の菩提寺である養安寺にあったもので、製作は室町期と伝えられこの地方では最古のものである。

清心尼公の墓

 遠野南部第二十一代の領主、清心尼公は八戸南部第二十代直正の夫人で29歳で未亡人となり、剃髪して仏門に入り清心尼と称した。嗣子がなかったので封建時代には異例の女の殿様が誕生した。寛永四年(1627)八戸から遠野への転領にあたっては養子直栄(第二十二代)を補佐して遠野郷の統治につとめ、遠野南部氏250年の基礎を築いた女傑で正保元年(1644)6月4日、59歳で没した。この墓は菩提寺の大慈寺が廃されたとき現在の場所に残された。

飢饉の碑

宝暦5年(1755年)遠野領最大の大凶作で餓死した人々の供養塔です。宮代という所の道端にある小さな碑です。遠野の厳しい土地を乗り越えてきた人々の苦難が刻まれている。

太郎淵

「川には河童多く住めり。猿ケ石川ことに多し」と遠野物語に記されるようにこの流域には河童の伝説が多くある。光興寺の淵に太郎と言う河童が住んでいて、洗濯など水仕事に来る集落の女達をのぞきにきてはいつも悪さをして困ったと言う。また、この淵の下方にも淵があって、太郎河童に言いよる女河童が住んでいたと言われた処である。今でも太郎淵、女ケ淵と言い二匹の河童が住むと言われている。(遠野物語・第55話)

hachimangu遠野郷八幡宮

文治5年(1189)、平泉の藤原氏の追討に従軍として功がり、源頼朝から遠野郷を賜った阿曽沼広綱が宇夫方広房を代官として送り、松崎村駒林に「館」を築き、氏神である八幡神をまつり、遠野郷を統治した。その後、阿曽沼広綱が横田城を築き東北(鬼門)である宮代に八幡宮を勧請して崇敬した。遠野郷の総鎮守。祭日は9月中旬で各郷土芸能が出揃う。

福泉寺

創建は1912年(大正元年)、佐々木宥尊(初代住職)によって開かれる。境内は総面積20万平方メートル、その山内には岩手県内唯一の四国八十八箇所と西国三十三所の写し霊場があり、また春には桜、秋には紅葉の名所でもあることから、多くの参拝者を集める。福泉寺(ふくせんじ)は岩手県遠野市にある真言宗豊山派の寺。山号は法門山。木彫として日本最大の大観音像で知られる。

さすらい地蔵

白幡神社という小さな神社の境内に置かれた『さすらい地蔵』は『女地蔵』で、昔若い男たちの力自慢に使われたお地蔵さまだそうです。かつがれては町のいろんな所に投げ捨て置かれたのでその名がつきました。ある時は繁華街に捨てられ、またある時は小道や草むらに捨てられていたので、ある人が『罰当たりなことだ』と思って元の場所に戻してあげたところ、『若者たちとせっかく楽しく遊んでいるのに、余計なことを!』と逆に気に触れたとのこと。

妻の神の石碑群

妻の神は塞の神などとも書き、村境にあり外から悪霊が入ってくるのを防ぐ神とされる。この駒木地区にある石碑群は、多くの石碑が並ぶことで古くから知られており、名所としても紹介されてきた。遠野を代表する石碑群の一つ。

角助の墓

角助は江戸時代の中頃、遠州掛川でシシ踊りを見て、その優れた点を取り入れ「駒木しし踊り」を完成させた舞い手であり、振付師として語り継がれた伝説の人物であるという。

遠野馬の里

競走馬育成調教施設の管理、乗用馬・農用馬の繁殖改良と育成調教、馬とのふれあいのホースパーク事業を行っている。

 

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