綾織町

綾織町ってどんな所?

綾織町は、遠野盆地の西部に位置し、東西に流れる猿ケ石川流域の田園地帯です。 「綾織」の地名は昔この地に天女が降りて綾を織り、それ(曼陀羅)が光明寺に伝わることに由来しているとのこと。
JR綾織駅周辺の地域を仲宿と言い、村だった頃は村役場や農協、郵便局があり村の中心だったとのこと。
藩政時代に、宇夫方清左衛門が角鼻堰を開いた頃には農業もかなり進歩していたと思われるが、今も豊かな水田が広がっている。 近年は、国指定史跡に認定された「綾織新田遺跡」の活用に向けた調査や、 日本十大民家の一つにもなっている市指定文化財の「千葉家曲り家」など、観光資源の豊富な地域でもある。また、猿ケ石川左岸の標高約270mの河岸段丘上には綾織新田遺跡があり、発掘調査の結果、大型竪穴住居により構成される縄文時代前期前半の拠点的集落 跡であることが判明し、遠野市は遺跡の重要性を考慮し、保存することを決定した。

綾織町の主だった施設

施設名 所在 Web
綾織地区センター 〒028-0532 遠野市綾織町下綾織且の鼻26番地 0198-62-2838 綾織地区センター
静養園クリーンセンター 〒028-0531 遠野市綾織町新里18地割75番地1 0198-62-2878 静養園クリーンセンター
遠野風の丘 〒028-0531  岩手県遠野市綾織町新里8地割2番地1 0198-62-0888 道の駅遠野風の丘
あやおり結和 〒028-0531 岩手県遠野市綾織町新里19-7-2  0198-62-1560  
石上の園 〒028-0531  岩手県遠野市綾織町新里22-132 0198-60-1100 石上の園

 綾織町の名所

千葉家

江戸時代に建てられた代表的な南部曲り家で、平成19年に敷地全体が国重要文化財に指定されました。石垣の上に茅葺の建物がそびえ建つ荘厳な屋敷構えが特徴です。南部曲り家とは、オモヤとウマヤがL字状につながる、この地方独特の民家で、千葉家ではウマヤ部分が展示室として公開されています。成28年度から大修理工事が予定されており、約10年間は通常の公開ができなくなる見込みである。

続石

二つ並んだ石の上の、左側の方のみに幅7メートル、奥行き5メートル、厚さ2メートルほどの巨石が笠石として乗っている。遠野物語拾遺第11話には「続石は、此頃学者の謂ふドルメンといふものに良く似て居る。」とあり、大石で造った古代人の墓とも言われているが、武蔵坊弁慶が足を引っ掛けて台石に笠石を乗せたという伝説がある。

石上山

遠野三山の一つ、石上山は、遠野物語で『石神山』として登場する山で、早池峰山、六神石山(六角牛山)とともに三山信仰として登られた山だった。かつては修験者の山、女人禁制の山とされていた。

石上神社

昭和25年、福泉寺で大観音を作るために切り出された大杉はこの石上神社のものだということです。遠野三山の一 つ石上山の麓に鎮座し、深い緑に包まれ、風格ある拝殿が静かにたたずむ。文治年間(1185 ~1190)に阿曽沼氏が勧請したという。旧綾織村の村社として広く信仰を集めた。例祭は 8月第1日曜日に行われる。

羽黒堂と羽黒岩

『遠野物語拾遺』第10話には高さ9mの巨石が矢立松と丈比べをしたところ、石の分際で樹木と争うなどけしからんと天狗に下駄で蹴られ、上の部分が欠けたといわれる石の話がある。
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光明寺

永禄三年、祥山和尚が行脚して綾織に来たとき、大久保に光明寺という廃寺と古仏があるのを聞き、領主・上野丹波守広吉の帰依により寺跡に小庵をたて、永禄十二年師僧の泰室文誉和尚を招いて開山し光明寺とした。
寺宝として阿弥陀如来像と綾地打敷を所蔵している。
mandaraこの綾地打敷は、昔天女が村内の蓮池に降り蓮をとって綾を織ったと伝えられており、綾織の地名の由来となった曼荼羅であり光明寺の本堂で見ることができる。

桜並木

綾織地区の遠野バイパスから国道283号線と猿ヶ石川に挟まれた自転車専用道路沿いにある桜並木である。猿ヶ石川と桜並木は春の遠野を代表するビューポイントとなっている。
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綾織新田遺跡

 史跡は遠野盆地の西側に位置し、平野を見渡せる小高い丘の上に存在しています。今から6千年前、縄文時代前期の拠点集落で17棟の大型住居を中心とした集落跡の初期の事例として極めて重要であることから国の史跡指定を受けました。
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