遠野町

遠野町(とおのちょう)ってどんな所?

遠野町

遠野市の人口の約26%を有する中心市街地に位置する遠野町は、南部氏の城であった 鍋倉(なべくら)城址(鍋倉公園)を取り囲むように来内川が流れ、 今でも地元では一日市(ひといち)・札場・上同心・下同心・鍵町などの当時の地名が通用するなど、 城下町の面影が色濃く残っています。

太神楽・南部ばやし等の古くから伝わる伝統芸能は、町方文化としても当時の情景をしのばせるには十分です。また、「遠野町家のひなまつり」、「まつ火焚き」や、住民手作りの寛永四年南部氏遠野入部行列を模しての行列も人気で、 八戸市との地域間交流の場ともなっています。

遠野町内の主だった施設等

遠野町の名所

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会下の十王堂

遠野物語拾遺68に出てくる十王堂です。
十王とは、冥土で亡者の罪を裁く十人の判官のことで、この十王様をお祀りしているのが十王堂である。堂の中には、真中に「閻魔王」をはじめ、十人の王と、その本地である「地蔵様」、それに十人の判官を支える「奪衣婆」「倶生神」などが祀られている。

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卯子酉様

卯子酉様は岩手県遠野市の愛宕山の東麓に鎮座する神社。境内の無人販売で売っている赤い布を、左手だけで社前にある木に結ぶことが出来れば縁が結ばれる、縁結びの神様として知られている。

五百羅漢

遠野における天明の大飢饉による餓死者を供養するために、天明3年(1765年)に大慈寺の義山が山中の自然石に500体の羅漢像を刻んだものと伝わる。 羅漢像は立体的な彫刻ではなく、絵画のような線彫りである。

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池端の石臼

遠野物語第27話にでてきます。
池端家の先代の孫四郎という人が宮古に行った帰り道で若い女の人から一通の手紙を預かった。その手紙を物見山の姉のところに届けてほしいと頼まれ、引き受けたものの心配になった。帰る途中に六部(寺を持たない和尚)に出会った。孫四郎の様子がおかしかったので六部は『何か心配事でも』と声をかけた。預かった手紙を六部に見せたら『この手紙を持って行ったなら大変なことになる書き換えてあげよう』と別の手紙を書いて持たせた。物見山の姉に手紙を持ってわたすと『これはおれいだから』と、石臼をくれた。『米を一粒入れて回しなさい。黄金が一粒出てくるから』孫四郎は家に帰って試してみた。米一粒入れて回すと黄金がポロリ、この宝の力で家はだんだん栄えていったが欲の深い妻はこれを見て一度に米を摑んで石臼にいれた。石臼はグルグル回り水溜りの中に滑り込み見えなくなり水溜りは池になり今でも家の傍らにある。この家を池の端『池端』と呼ぶようになった。
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鍋倉公園

遠野南部氏の城跡として知られている鍋倉公園は鍋倉山(標高343.9m)に造られた公園で山腹には南部神社があり、城の形をした展望台(三ノ丸址)からは遠野市街地が一望できる。遠野随一の桜の名所として知られている。

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程洞のコンセイサマ

遠野高校裏の山の中腹に程洞[ほどほら]神社があり、その祠のなかにある。不動の剣も祭られている。子宝・健康・増産などにご利益があるといわれる。

愛宕神社

遠野物語拾遺第64話に出てきます。
ある時某家で失火があった時、同所神明の大徳院の和尚が出て来て、手桶の水を小さな杓で汲んで掛け、町内の者が駆けつけた時にはすでに火が消えていた。翌朝火元の家の者大徳院に来たり、昨夜は和尚さんのお蔭で大事に至らず、まことにありがたいと礼を述べると、寺では誰一人そんな事は知らなかった。それで愛宕様が和尚の姿になって、助けに来て下さったということがわかったそうな。

大日山千年桜

貞享2年(1685)、遠野郷の領主南部義長公による大日堂建立の際に植えられたと伝えられ、樹齢はおよそ320年とされていたがその後の調査で樹齢1000年を超えているこのこと。エドヒガンザクラで樹高12m、根回り7.85m、幹回り6.6m、枝下2m。平成9年に市の天然記念物に指定されている。